
- 心田を耕す
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『心田を耕す』ということは、「スッタニパータ」(經集)という古い時代の仏教の経典に、バラモンと釈尊の問答という形で出てまいります。その中に「信仰が私の播く種である」という釈尊の言葉があります。耕した心田に播く種は信仰、信であると最初に教えて頂いているのです。ただし、播いただけでは種は育ちません。水を与え、太陽の光を当てることが必要です。
心田を耕すとは、私どもが思いやりのある人間になると…
- 内省の大切さ
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私たちは、自分そのものを深く省みると、善も悪も共に具えていることに気づきます。仏さま、菩薩さまのような心根から、人を殺傷するような行いに走らせる心までもち合わせている自分であり、私たち人間であります。
内省とは、仏教の十界互具の言葉どおり、善も悪ももち合わせる自分の全体を見ることです。ときどきに陥る錯覚やとらわれの前でうろうろしている自分が、内省によって、いかに狭小な見方をしていたかが分…
- 朝は希望と誓願に目覚め
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私はよく「朝は希望と誓願に目覚め、昼は努力・精進に生き、夕べには感謝に眠る」の語を引用いたしますが、"一日一生"の人生を充実させていくには、実に朝が重要なカギを握っているようです。
目が覚めたら、生かされていた――その喜びと感謝の笑顔で、家族や隣人に「おはようございます」とあいさつする。その日一日を明るく生きていく第一歩が、そこに記されるのではないでしょうか。
朝の目覚めがいいと、そ…
- 一乗の教え
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開祖さまが示された「一乗」の教えは、法華経を代表とする大乗経典に共通するものですが、一切衆生を悉く成仏させる教え、一人残らず「救い」へ導く教えのことです。
「救い」とは、比較相対的な立場を超えた絶対なる真実の世界に目覚めることです。表現を変えれば、生命の根源はみな一つであり、すべてが一つの大いなるいのちに生かされていることに気づくことです。それはまた、有限な生命の私たちを、恒常不変の…
- 病から学ぶ
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仏教では、人間は誰もかれもが病人であると見ています。肉体の病気に限ったことではなくて、むしろ心の病のほうが深刻だというのです。ほとんどの人が「煩悩」――貪・瞋・癡の三毒――という大病を抱えているとして、その病を克服する道を教えているのです。
実際に体のどこかが痛めば、それが苦になるのは自然なことですが、肉体の病のみが苦しみかと言えば、そうとばかりは言えません。たとえ病気であっても、心…
- 青少年犯罪に思う
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青少年犯罪は、物質的な豊かさが幸せのすべてであるかの如く錯覚して、生命を尊重し、生命を慈しむという大切なことが見失われていたからとも言えましょう。「キレる」という言葉に象徴される精神面での耐久力のなさは、青年期までのあいだの教育に問題が隠されているのであり、肉体的な苦痛に耐えられない――生命力が弱くなったことに一因しているといえます。
生命軽視の事件が起こるたびに、悲しみに胸がふさが…
- 慈悲とは仏知を伝えること
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真理を知り、いのちの尊さ、有り難さを知ると、今日一日の有り難さが分かってまいります。そして、その大切なことに、まだ気づかずにいる人に早くお伝えしたいとの心が湧きあがってきます。それが、じつは釈尊ご自身のお心であられたのです。
釈尊が悟りを開かれて以来、四十五年といわれる伝道のご生涯は、すべての人の仏知見を開くという、やむにやまれぬ慈悲心に端を発していたのです。
目の前の小さな苦しみや…
- 今が本番、今日が本番
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『今が本番、今日が本番』という言葉を私は皆さんにお伝えしています。これは、この言葉を心に持って毎日精進させて頂くと、私どもの生きがいにつながっていくと受け取らせて頂いているからです。私は、人間が生きがいを持って生きていくためには、大事なものが二つあると教えて頂きました。一つは『何事にも全力を出し切っていく』ということ。もう一つは、『人さまのために奉仕をする』ということです。この二つがその人の…
- 怨みを乗り越えて
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航空機による自爆テロは、人のいのちの尊厳をあまりにも安易に踏みにじるものであり、どのような理由があるにせよ、決して許されるべきものではありません。一般市民の方々がこれほどまでに多数犠牲となったことは、米国民のみならず世界の人々に強い憤りを抱かせております。
しかしながら、あえて申し上げなければならないと思いますことは、感情に走り、暴力に暴力で対抗していくことは、過去の歴史が示すように…
- すべての人が宿す「願」
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無量義経十功徳品の中に、「発心」「菩提心」を発すことが大事であると説かれております。仏教では、この「発心」や「菩提心」を「発願」とも申します。「願」を発すという意味です。そして、その「願」は、どのような人でも、すべて同じ願いであり、ただ一つだといわれております。つまり一切衆生、すべての生きとし生けるものを救わんとする願い――私たち人間の心を奥底までつきつめていけば、必ずこの「願」にたどり着く…
- 「南無」のこころ
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仏の真理の世界は、言うまでもなく、絶対であり、無限です。人間がそのすべてを極めることなど到底できません。
私たちは、朝夕に「南無妙法蓮華経」と唱えます。「南無」とは、真理の前にひざまずく、帰依するということです。「自分は正しいのだ」「何でもできるのだ」というような驕慢な心になるのではなく、「自分は愚かで何も分からないのだ」「もう仏さまのみ教えに帰依していく以外にないのだ」という謙虚な心に…
- それぞれが絶対の存在
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私がよく引用させて頂く道元禅師の歌があります。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」
この歌には、人間―凡夫(ぼんぷ)―の見る目ではなく、仏の見た絶対の世界が示されています。夏は夏で素晴らしいという讃歎の世界です。秋も冬も、他の季節に代えがたい独特の味わいがあり、そこには比較を超えたよさがある。私たち人間は、過ごしやすい春や秋を好み、夏は暑いし、冬は寒さが厳…
- 三つの誕生
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人間には大きく言えば三つの誕生があるといわれます。人として生まれることが第一の誕生。真理に目覚めることが第二の誕生。そして、ついには、誰でも無常法の働きによる死を迎えますが、それは、宇宙の理法に帰ってゆくという意味で、第三の誕生と受け止めることができます。
開祖さまのご入寂は大変悲しいことでしたが、しかし、それは生を受けたものは必ず迎えるということをしっかりと受け止めたいものです。
生死と…
- 宗教者の「説かざる罪」
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人間は、つい物事を相対的・対立的にみてしまいます。自己と他者を比較しがちです。そして、自己中心的な発想を追及し始めたとき、人間は他者に対して「不寛容」となり、「争い」の種を自らの心の中につくり出していくのであります。
仏教では、この世に存在するものは、重々無尽の因縁、縁起によって成り立っており、すべてのものが、相互に関係し合い、依存し合っていると教えています。一人の人間、一つの民族、一つの国…
- お年寄りという宝物
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私たちは、とかく老人になるということを嫌がる傾向があります。しかし、「老練」という言葉がありますように、老いるということは、物事に熟練する、練達する、思索が深まって人間のあらゆることが分かってくるという意味があります。そして、いろいろな人に、その人生経験を、智慧を分かち与えることができるのです。本当の老人の姿とは、老いの意義をかみしめ、喜びと誇りを持って生きることだと教えられています。
…
- 「簡素」とは
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私は書き初めに『簡素』という二文字をしたためました。
簡とは統一が保たれていて煩瑣でないという意味で、ものごとを一貫して持続するための重要なポイントであります。素は質素に通じ、大事なものは具えているが無駄ははぶくという意味であります。つまり今の世に生きる人間として大事なこと、必要なことは何かという本質的、根本的なことを踏まえていこうということであります。
それは言い換えれば確たる目…
- よいことを真心込めて繰り返す
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この世の中で、本当によいこととは何でしょうか。仏さまの教えを頂いて、思い上がりの強い私たち人間が、有り難い、お陰さまですと感謝できるようになる。その宗教をお伝えしていくことこそ、この世で一番よいことだと思うのであります。
教えを自分のものにするにはなかなか分かりにくい面もあります。また人さまにお話ししても、本当に分かって頂くには、私たち自身が常に勉強していかなければなりません。しかし…
- 石につまずいたとき
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道を歩いているとき、石につまずいたとします。おもしろいのは、その反応の仕方であります。自分がうかつであったと反省する人、石に腹を立てる人、石をそこに置いた人間を恨む人と、それぞれです。これは日常の一つの小さなことですが、ここで自分を反省するか否かということがその人の人生を大きく左右するわけです。事の大小を問わず、自分というものをしっかり見つめ、自ら反省していく人が本当の人間として成長していけ…
- 自ら信じて、人をして信ぜしむ
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無常の法にふと気づき、自分が、いま・ここに生かされているその尊さ、有り難さをはっきりと知った人は、たとえ現実に苦を背負っていても、そのとらわれを離れて、苦を苦としない自由な心境になれるのです。
それはまた、心安らかな、何があっても「有り難い」と感謝で受け止めていける境涯ですから、いつも明るさにあふれ、まわりの人に思いやりをもって接する包容力があります。
そういうふうに、いつも…
- 本質的な救われ
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人は、現在の境遇や環境が変われば幸福になれると考えがちです。病気の人は健康になりたい。家庭が不和であれば仲良くなりたい。確かに、それらは万人に共通の願いです。
しかし、その願いだけを追求し、かなえば有り難いというものであるならば、それは人間の欲望を満足させるだけの信仰で、宗教本来の道からは外れていると言わざるを得ません。
確かに病気であれば悩みも深いでしょう。しかし、病気を通…
- 共通の目標に向かって
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世界にはさまざまな宗教がありますが、「自分が信じる宗教がもっとも正しい」と主張すれば、他の宗教との間に必ず対立が生じます。そうした宗教間の対立が激しくなると、「正義の戦い」の名のもとに戦争まで引き起こしてしまうのです。
お釈迦さまは、自分の命を何度も狙った提婆達多さえも、「提婆達多は善知識」と申され、善き友であり、善き師であるとおっしゃって、大きな度量で包みこまれています。このように、自…
- 三つの実践
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「あいさつはさわやかに」「人から呼ばれたら、はっきりと返事を」「席を立ったらイスを入れる。履物を脱いだら必ずそろえる」。この三つは人間としてもっとも基本的なたしなみだといわれます。ナーンだそんなことかと思われる方もいるかもしれません。しかし、簡単なようですが、これを夫婦間でも親子の間でも実行していくとなると、なかなか難しいことでもあります。これを子どものうちにしっかり身につけますと、大人にな…
- 自他一如の世界
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「尽十方界、真実人体」という言葉があります。これは真の生命とは、この世界そのものを身体とするもの、この世界そのものをわが生命とするということです。ですから、飢餓や紛争など、世界に起こる種々の出来事が、自分のことであるということです。それは表面だけでなく、もう一つ奥を見ると、自分のこの身は、すべてを包む大いなる根源のいのちに生かされていて、そのいのちと一つのいのちを生きている、ということになり…
- 不況の中にあっても
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ここ数年、日本はじめ世界各国で、深刻な経済不況が進んでいます。実際、リストラや収入減、配置転換、失業などに直面している方も大勢おられます。私自身、全国各地の教会を訪ねる中で、その深刻さを肌身で感じさせて頂きました。
しかし、私たちは仏教に結縁させて頂いております。現実の問題には真剣に対処していく必要がありますが、その上に、教えを通して、人生を生きる原動力を頂いていく。現実問題を通して、人…
- 一日は一生の縮図
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ただ一度の人生を真剣に生きるとはどういうことでしょうか。それは、「一日は一生の縮図なり」といわれるように、具体的には今日一日を大切にして、成すべきことに最善を尽くすことです。
人生がただ一度のものであることを自覚して生きるのと、そうでないのとでは、大きな違いが生まれてきます。
その自覚があれば、家庭で子どもと触れ合うのでも、常に子どもに心を開いて向き合うようになる。子どもの目の色や声…
- 共生のための行動
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一仏乗の教えは、仏教の代表的な教えです。一仏乗とは、生きとし生けるものすべてが、区別なく、みな、仏の悟りに到達することができるということであり、宇宙を貫く法を認識することによって、本質的な救いに到達することができるということです。一切衆生は本来、生まれながらにして仏の悟り、宇宙の法を認識する仏の智慧を持ち、誰もが仏になれる種子、つまり仏性を持っています。それゆえに、すべてのいのちは、みな等し…
- 人間、みなほとけの子
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法句経というお経に、このように説かれています。
人の生を受くるは難く
やがて死すべきものの
いま生命あるは有り難し
正法を耳にするのは難く
諸仏の世に出づるも有り難し
この世に無数の生物が存在する中で、人間として生まれあわせるのは、奇跡ともいえるほど稀有なこと、有り難いことです。しかも、いずれは死んでいく自分が、いま、ここに生かされて生きている。この不思議…
- 「永遠のいのち」を生きる
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仏教の核心である無常の法は、「永遠にして絶対なる真理」です。この無常の真理に照らして見ると、私たちは限りある身でありながら、同時に「永遠のいのち」なのです。人間が生まれ、死んでいくのは、永遠に繰り返されることで、そのことはいつも不変です。ですから、無常を認識することは、いわば「永遠のいのち」を頂いて生きることと同じです。
つまり「自己」とは、「永遠のいのち」のことであります。そしてま…
- 「無常」の法に貫かれ
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仏さまの教えの核心は、「無常」である、とこれまでもたびたび申し上げてきました。「すべてのものは変化し、一刻もとどまることがない」――この真理・法にあてはめてお互いのいのちを見つめてみますと、本当に昨日と同じ自分はないことが分かります。毎日毎日、創造変化しながら、今この瞬間を生きているわけであります。そして悲しいことですが、開祖さまと同じように、私たちもいずれは死というものを迎えます。この事実…
- みな良い日、めでたい日
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「良い日」「悪い日」というのは、人間が勝手に決めることであって、本当はみんな「良い日」なのですね。今日という日は、私と皆さんが出会わせて頂いた記念すべき日ではありますが、特殊な日ではないのです。明日も良い日です。昨日も良い日だったのです。
天気についても、よく「良い天気」とか「悪い天気」とかいいますが、本当は別に良くも悪くもないのですね。ただ晴天ということです。雨が降ったら雨天、曇ったら…
- サムシング・グレート
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人間を超えた大きな力というものを、私たちは「仏の力」と表現します。キリスト教などでは、おそらく「神の力」というと思います。そうすると、仏とか神とか相対的な言葉になってしまって、どうも一つになりません。
その意味で、私が大変感心しましたのは、一人の庭野平和賞受賞者が、「いのちの子」という言葉を使われたことです。仏の子も神の子も、みんな「いのちの子」である。そうすれば人類が一つになるのではな…
- 子供の行動から心を知る
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子供の暴力、家庭内暴力などの問題は、いわば「子供の言葉の現れ」であるといわれます。暴力を通して、自分の胸のうちを現しているともいわれているわけであります。なぜそういうことをせずにはおれないのかを伝えたい。でもなかなか伝えられない。それが、そうした現象として起こってくるのです。
信仰の世界では、すべては仏さまの説法であると教えて頂いています。「非行少年」というような言葉も使いますが、本当は…
- 感謝、サンゲが幸せのもと
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幸せになるには、何と言っても私たちが感謝の心を自分のものとすることが大事です。物事に感謝する、親に感謝する、悪意に出合っても、それが自分を磨いてくださるんだと感謝する。いろいろなことに感謝できる人間になることが、幸せになる上で、大変大事なのです。
もう一つは、やはりサンゲをするということです。何か失敗したら謝る、素直な気持ちでサンゲできる一人ひとりになっていくことが、幸せな人生を歩んでい…
- なにもかもが不思議
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『ふしぎ ふしぎ ここに生きて 呼吸して手動いて 考えて 泣いたり笑ったり なんという不思議ないのちもらったんだろ』。これは佐藤勝彦という方の言葉です。
よく考えてみますと、人生は本当に不思議だと思います。私たちは、もちろん両親のお陰さまでいのちを頂きました。しかし、ただ単に両親だけの力ではなく、目に見えない大いなる力、働きによって、この世に誕生したのであります。このこと一つとっても、不思…
- 信仰者は学生である
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「学生」という言葉がありますが、本来、私たちは皆、一生、学生ではないかと思うのですね。
「学生」という字を見ますと、まず上から読んでいくと「学ぶことが生きることである」となります。下から読みますと、「生きることを学ぶ」と受け取ることができます。ですから、学校生活を送っている時代だけが学生なのではなく、一生、学生である、と私は思っているわけであります。
信仰するということも、やはり人生…
- 本当の意味のご守護
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私たちは、生きているのではなく、生かされている。それが仏さまの教えてくださっている一番肝心なところだと思います。私たちは、星のお陰さま、お日さまのお陰さま、お月さまのお陰さま、大地のお陰さま、もうあらゆるお陰さまの中で生かされています。そうしたことに気づくこと、人間は護られているんだということに気づくことが、本当の意味のご守護であると思うのであります。もう、すでにご守護を頂いている。そのこと…
- 顔に自信を持つ
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毎田周一先生のご本の中に、こんな言葉があります。『世の人の顔が皆同じだったら、人は生きる望みを失ふだらう』。
私たちはよく、自分の顔に自信が持てないとか申します。しかし、毎田先生のお話ですと、とにかく一人ひとり顔が違っていることが大事なようであります。同じ顔ばかりでしたら、望みを失ってしまうということです。
もう一つ、次のような言葉もあります。『あなたのそのお顔は、世界に唯一つしかない…
- 宗教の世界、サンガの世界
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完璧で、非のうちどころのない人間は存在しません。完璧でない、不完全な人間同士が協力し合い、和になっていく。そうしたサンガの世界を築いていけるよう努力しなければなりません。ただ自己主張だけしておったのでは、釈尊の願われた和の世界は築くことができないのです。
私たちは日頃、お題目を唱えております。そのように、真理に素直に帰依する宗教の世界は、悪いところは改めながらも、お互いを認め合って、みん…
- うまれたことも死ぬこともおかげさま
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一つの短い言葉がございます。
『おかげさま よろこびもかなしみもうまれたことも死ぬこともみんなみんなおかげさま』
私たち人間の都合で考えますと、『よろこびもかなしみも』の中で、「よろこび」はお陰さまという感じがしますが、「かなしみ」というのはどうもお陰さまではないと考えてしまいます。そして、『うまれたことも死ぬことも』の中で、「うまれたこと」はお陰さまかもしれませんが、「死ぬこと」は…
- 有り難い、もったいない、お陰さま
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生きている実感というものは、苦労のない人に比べたら、やはり苦労の多い人のほうが大きいと思います。苦労、苦悩が多いと、喜びも大きい。苦労のないところには、喜びもない。人間の世界では、何事も一方が悪ければ、一方が良いと申しますか、そうしたことがすべてにわたってあるのです。
仏さまの教えを頂いて、しっかり信仰をしていたら、ご守護を頂いて、ずっと生きていける、永遠に生き続けることができるかといっ…
- 「ラジオ様」「自動車様」
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ある新聞に、こんなコラムが載っておりました。
「お天気博士」と呼ばれた倉嶋厚さんに幕末生まれのおばあさまがおられるそうです。ある日、そのおばあさまが倉嶋さんに紙切れを渡し、「文字を知らない自分の代わりに、これから言う言葉を書いてください」と頼まれました。そこで、おばあさまがおっしゃったのは、次のようなことだったそうです。
「大日如来様」「お地蔵様」、そこから始まりまして「ラジオ様」「…
- 春夏秋冬すべて良い
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道元禅師が次のような歌を残しておられます。
『春は花 夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて すずしかりけり』
この中に、春夏秋冬ということが出てまいります。私たちは、夏は暑くて嫌だとか、冬は寒いからとか、いろいろ不平不満を言ってしまいがちです。しかし本来、夏は暑さがあるからいいわけです。例えば、海で遊びたいという人は、暑くなって海水温が上がるからこそ泳ぐことができ、また冬も、寒くなって雪が…
- 不平不満という殺生
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不殺生戒とは、生き物を殺してはならないということですが、大乗仏教がとらえる不殺生戒とは、どうも私たちが頂いたいのちに不平不満をいってはならない、ということに大きな意味合いがあるようであります。
私たちは、いろいろ人と比較したりして、卑屈になったりしがちです。しかし私たちは、頼んだり、注文をつけたりしてこの世に生んで頂いたわけではありません。自分で努力をしていのちを得たわけでもありません。…
- もっとしっかり知る
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仏さまの教えというものは、決して難しいものではなく、誰でも分かる、誰でも知っている教えです。それを仏さまは、あらためてしっかりと教えてくださったのだと、私は思っているのです。
諸行無常、つまり世の中は一刻もとどまることなく変化している。このことは、おそらく誰に教えられなくても、皆が知っていることだと思います。極端にいえば、人間は生まれてきて、やがて死んでいく。これは誰でも知っていることで…
- 一番有り難いこと
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仏さまの教えを頂いて、私たちが一番有り難いこととはどういうことなのでしょうか。それは、なかなか有り難いという気持ちになれず、頭の下がらない私たちが、仏さまの教えによって頭が下がるようになることではないかと思います。
仏さまは私たちに、生きているのではなくて、生かされているんだ、ということを教えてくださっています。このことを本当に分からせて頂くと、自発的に頭の下がる人間にならせて頂くことが…
- 内省することの意味
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私はしばしば、内省が大事である、と申し上げています。私たちが人間として、自らを深く省みる、内省することは、サンゲ(懺悔)と同じです。人の欠点とか悪いところが見えてくるのは、自分にも同じようなものがあるということです。小さく純真な子供は、全く悪気がありませんから、人は皆いい人だと思ってしまうといわれます。自分にないものは見えてこないのです。
自分にも同じような欠点がある。そのことが分かるだ…
- 苦と創造の喜び
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楽だけのところに喜びはないといわれます。極楽といいますと、何の苦もない、何の心配もないように思われていますが、逆にそういうところには、喜びもないというのです。
仏さまが「一切皆苦」といわれているように、私たちは、一生、苦というものに出あい、取り組んでいかなければなりません。しかし、そのお陰さまで、何とか苦を解決していこうと努力する気持ちが起こってまいります。またその都度、自らを反省、内省…
- 苦悩を越えていくとは
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私たちが苦悩を超えていくということは、どういうことでしょうか。一人ひとりが自己を見つめることを通してこそ、苦悩を超えていく力が与えられる、ということなのであります。
自分というものを深く見つめてみますと、私たちは自己中心であることに気づきます。自分では、人のために貢献し、働いていると思っていたけれども、さらに深く見つめると、自分が一番の自己中心であったことが見えてまいります。そこに気づい…
- 来た道 行く道
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よく「子ども叱るな来た道だ。年寄り笑うな行く道だ」という言葉自分が子供だった頃のことはもう忘れてしまって、子供が問題を起こすと叱ってみたり、親がちょっとおかしいことをすると笑ったりすることがございます。しかし、すべては自分が通ってきた道であり、行く道です。子供のことを通して、また親を通して、私たちは、人間が生きるということを共に学ばせて頂いているのであります。
『佼成新聞』(佼成出版社)…
- 死ぬまで精進
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ロボット博士として知られる森政弘先生のご本の中に、こんな言葉がございます。
『精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わったらまた精進......』
これは仏教徒の意気込みというものでありましょう。仏教徒の精進とは、本当にそういうものだと思います。これで出来上がった、というものでは決してありません。永遠の真理というものを、私たちが一個人としてすべて把握できるということはあり得ません。精進が…
- 生きながら死人となる
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私の好きな歌を紹介してみたいと思います。
『生きながら 死人となりて なり果てて 思いのままに するわざぞよき』
これは、至道無難禅師という方の歌です。ちょっと難しいかもしれませんが、意味深い歌であります。
生きながらに死人となる。死人ということは、結局私たちが無我になって、謙虚になっていくということだと思います。本当に死んだつもりで、謙虚になって学んでいく。それでこそ、意義のある…
- 「一期一会」の人生
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私たちの人生は、長いようで短いものです。「一期一会」という言葉がありますが、人と人との出会いというものが、一生の中で、ただ一度となることがございます。いつも、そのような気持ちになっていれば、人との出会いをただ一度の有り難いお手配なのだと頂くことができるわけです。
このことは、結局、真剣な気持ちになるということであります。私たちは、日頃、なかなか真剣な気持ちで物事を受け取れません。そこから…
- 一日一日の積み重ね
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人生は、習慣の織物であるといわれます。綺麗な布を織りたければ、そのような良い習慣が大切となります。木村和夫さんという方の『習慣』という詩を紹介します。
『毎日毎日が習慣づくり/勉強をサボるという習慣/勉強を真剣にやるという習慣/本を読まないという習慣/本を読むという習慣/字を乱雑に書くという習慣/字を丁寧に書くという習慣/小さな声でぼそぼそと言う習慣/はっきりした声でしっかり言う習慣…
- 心のスコアカード
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私は、感謝ということが、人間にとって本当に大事なことだと思います。例えばスコアカードをつくり、片方に「不平不満」、もう片方に「感謝」という文字を書いてみたとします。そして、一つ不平不満があったら丸をつける、一つ感謝できたら丸をつける、というようにしたら、どっちが多くなるでしょうか。自分のことを振り返りますと、おそらく不平不満の方が多いと思うのです。
人間は誰もが、不平不満の心では生きがい…
- ふしぎ ふしぎ
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佐藤勝彦さんという方が、こんな詩を書かれています。
『ふしぎ ふしぎ ここに生きて 呼吸して 手動いて 考えて 泣いたり笑ったり なんという不思議ないのちもらったんだろ』
これは結局、不思議という言葉の中に感謝を込めておられるわけです。不平不満ではなくて、こうして人間として生まれてきたことに対する感謝の詩だと思うのです。
この詩のように、私たちは日頃の生活の中で、有り難い…
- 何もかもが有り難い
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皆さまもすでにご存じだと思いますが、法句経の中に、次のような一節があります。
『人の生(しょう)を受くるは難(かた)く やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは有難し 正法(みのり)を耳にするは難く 諸仏(みほとけ)の世に出づるも有難し』。
最初に、そもそも人間としていのちを頂いて生まれてきたことが有り難いと述べられています。次に、やがて死すべきいのちが、いまこうしてあ…
- 未熟な頃の自分
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「初心忘るべからず」という言葉がございます。この初心ということの意味合いはいろいろあると思いますが、一つに、未熟な頃の自分を忘れないということがあります。また、最初に決意したこと、一念を貫くことが大事であるという意味でも使われます。
私たちは、最初の未熟な頃の自分というものを、つい忘れてしまう傾向があります。最初の頃は、本当に至りませんから、謙虚な気持ちが旺盛です。それがだんだん経験を重…
- 和顔愛語の根本
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開祖さまはいつもニコニコとされて、「和顔愛語」という言葉が最もぴったりくる方だと思います。なぜいつもニコニコとして、やさしい言葉がかけられるのかと申しますと、やはり仏さまの教えが有り難いということを本当に体得されていたからだと思います。ですから、私たちが開祖さまを手本として修行させて頂くということの一番の根本は、仏さまの教えを私たち自身が体得する、会得する、自分のものとしていく、ということ以…
- 「和」の大切さ
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私はいま、世界情勢の上からも、「和」ということを非常に大事にしなければならないときではないかと感ずるのであります。
「和」の精神というものは、仏教で教えて頂いている「柔和」、いわばとても柔らかなものであり、固定的でなく融通無碍なものです。それは、私たちのいのちの根本・根源は同じところからきている、という自覚から生まれます。人間だけでなく、一切の生きとし生けるもの、もっと大きく言えば、宇宙…
- 「すべては自分」「まず人さま」
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佼成会では、いろいろなことが起こっても、すべては自分に原因があるんだ、ということを教えています。そこからスタートしない限り、物事は解決しないのであります。ですから「すべては自分」という言葉は、本当に大事にしていかなければなりません。
私たちは、日常、子供の問題などで、いろいろと悩まされることがあります。普通でしたら、「困ったものだ」と受け取るわけですが、逆に子供の問題のお陰さまで修行がで…
- WCRPを通して平和の潮流を
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WCRP(世界宗教者平和会議)には、世界の10大宗教からさまざな諸宗教者が参加されています。そうした方々から伺いますと、戦争を認める、戦争を肯定する宗教というのは聞いたことがありません。「あの宗教は非常に戦闘的だ」というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、その宗教の指導者から伺うと、戦争を肯定するような教えは全くないと言われます。
ですから、本来、宗教によって戦争が起こるということはあ…
- 「つかえる」とは感謝すること
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仕事という言葉は、「仕」も「事」も「つかえる」という意味があると学ばせて頂いたことがあります。学校の教師ならば生徒につかえる。お米を作っている人ならば稲につかえる。牧場で働いているならば牛につかえるということです。
つかえるということは、さらにいえば感謝するということです。例えば教師ならば、生徒に感謝する。私たち教団の中でお役を頂いている者でしたら、信者さんに感謝するということです。こう…
- 真実の自己を訪ねる
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私たちが、どのようにして悟りを開いていくかと申しますと、やはり先人の歩まれた道を学ぶということが大切になります。それはちょうど、子供が両親の姿を見て、していることを真似て、親に習いながら成長していく過程と同じです。
絵描きさんも、最初から絵が上手なのではなく、過去のいろいろな名画といわれるものを写し取って習う、模写するということが大切だと教えられています。私もわずかな期間、書道を習わせて…
- 「足るを知る」大切さ
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私たちは皆、「貪・瞋・痴」を持ち合わせています。そして、あれも欲しい、これも欲しいということで文明が発展してまいりました。しかし釈尊は、仏教の基本として、「足るを知る」ということの大切さを教えてくださっています。
この「足るを知る」、いわば現状で満足してしまうのでは、なかなか文明が発達、発展しないのではないかというとらえ方もあるかと思います。しかし人間の欲望が大きくなり、文明が発展する一…
- 母の心が「仏心」
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もし子供さんが川に落ちたとしたら、母親は、自分が泳げようと泳げまいと、まず川に飛び込んで、助けようとすると思います。常識的には、「泳げないなら助けられない」と考えるわけですが、わが子のため、母親は自分を忘れ、川に身を投じるのです。
そのように自分を忘れて、「まず人さま」という心になることが、仏心、仏の心であると教えられています。私たちが、そうした心を持つことができたならば、もうそれは「救…
- 最大の功徳、ご利益
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仏さまの教えは、お題目を唱えたり、お経をあげたりすれば、何でも願いを叶えて頂ける、というようなものではありません。むしろ、いろいろな苦の原因はすべて自分にある。そのように受け取ることのできる人間になることが大事だと教えてくださっているのだと思います。
そして、いろいろ悩み苦しんでいる人に対して、「苦の原因はすべて自分にある」ということに気づいてほしいという気持ちで、ご法をお伝えする。また…
- 全力をつくして接する
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孫たちが何か言ってきたときに、それに全力を尽くして接してあげると本当に喜びます。忙しいからちょっと待てとか、いい加減なことを言っていると、やはり孫たちも本気になりません。ですから、幼い子供たちに対しても、一対一の人間同士であっても、本当に全力を尽くして接するということが大事だと思わされるわけです。
獅子はウサギを獲るときでも全力を尽くす、という言葉があります。意味合いは多少違いますが、私…
- 怨みは慈悲によってのみ消ゆる
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「まことに、怨みは怨みによっては消ゆることなし。慈悲によってのみ消ゆるものなり」。
この法句経の言葉のような方向にいくということは、現実に戦争などの暗い体験をされた方にとっては、大変なことであると思います。しかし、日本も原爆の被害に遭いながら、いまそれを克服してきているわけであります。
私たち人間が、心の深いところで何とかわだかまりを解決して、皆が仲良く、争いのない世界を築いていくた…
- 「無知の知」
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「聖」という文字は、「自らの非を知る」という意味合いがあると教えて頂いたことがあります。昔から「聖」と呼ばれる人は完全無欠だと思われがちですが、本来は「自らの非を知る」人だというのです。
言われてみますと、素晴らしい人、偉い人というのは、「自分に至らないところがありました」というように、物事を謙虚にとらえています。だからこそ、仏さまは「聖」の代表なのであります。
仏さまの教えの中に、…
- 世の中は思い通りにはならない
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三法印は、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つを教えます。さらに一切皆苦が入り、四法印とも言われます。この一切皆苦の「苦」は、インドから伝わった仏教を中国で訳したものです。本来、この「苦」は、「この世の中は自分の思い通りにはならない」という意味だと教えられています。
自分の都合のよいように、自由に、思い通りにしたい、というのが人間です。しかし仏さまの教えは、結局、人生は思い通りになりません…
- 「いのちの子」として生きる
- 私たち仏教徒は、「仏の子」であると教えられています。またキリスト教などでは、皆「神の子」ととらえているのではないかと思います。宗教によって、「仏の子」「神の子」と表現は違いますが、そうした宗教の違いを超えて、いのちは一つだという立場から申しますと、皆「いのちの子」という表現もできるのではないかと思います。
「仏の子」と言いますと、まだ仏教という一つの宗教の匂いがしてきます。「神の子」と言うと…
- 今日ほど素晴らしい、最高の日はない
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私たちは、明日のいのちを保障されていないわけであります。仮に、明日また今日のメンバーで全員が集まりましょう、と言っても、おそらく無理だと思うのです。
私たちは、今日以外にもきっと素晴らしい日が来るのではないかという思いで生きているわけですが、本当は、今日ほど素晴らしい、最高の日はないのであります。諸行無常ということを通して人生を考えてみますと、私たちが充実して生きていくということは、一日…
- 無我になるほど学べる
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学ぶということは、私たちが自分の我というか、自我というものを、いかに無にするかということにかかっています。もちろん我を完全に無にすることはでき得ないことですけれど、いかに私たちが無我に近づいていけるか、近づいた分だけ学ぶ量が多くなってくるのだと思います。
私のように年配になってまいりますと、なかなかものが覚えられないのですが、若い方々は、脳の働きがフル回転している素晴らしい年代です。無我…
- 「修行する」とは
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自分のことだけを考えている人間から、人のことを本当に自分のことのように思えるようになることが、人間として生まれてきた一番大事な価値であろうと思います。そして、そういう人間に生まれ変わることが、実は「救われ」だと思うのです。
ところが、自分が正しいと思っているうちは、なかなかそうはいきません。自分の固定観念、一方的な見方によって相手を悪いと決めつけてしまうからです。逆に、自分は愚かだか…
- 人間は、なぜ生きるのか
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自分はなぜ生きるのであろうか。これは人間として最大の問題ではないかと思います。私たちは、一体なぜ生きているのでしょうか。そう自分に問いかけたことはないでしょうか。私も自分にそういうことを問いかけながら今日まで来ているわけであります。
そうした中で、なるほど、と思わせて頂いたことがあります。私たちが生きているということは、結局、他の人々を愛するということが目的だというのです。愛すると言って…
- 仏さまの教えの核心
- 信仰していたら長生きできるとか、病気をしないとか、思うところに生まれることができるとか。仏さまは、そんなことはないぞ、とおっしゃっているのです。
けれども、それを踏まえて、絶望的なことだけれども、しっかりそれを踏まえて、一日一日を全力で生きていきなさい、人のために働いて生きていきなさい。これが仏さまの教えの核心ではないか、と私は受け取らせて頂いているのであります。
『佼成新聞』(佼…
- 「半眼」のこころ
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お釈迦さまの目は、半眼であったと言われております。目を半分くらい閉じておられたということは、自分の心を、内面を常に見つめておられたということです。人の心の中にあることは、自分の心にもあるのだ、と内省されていたのであります。
この内省を欠いてしまうと、私たちの目は外の物事に向いてしまって、外が悪い、他が悪い、あいつが悪い、という方向に行きがちです。ですが、そうではなくて、自分を見つめていく…
- 「四角」「三角」ではなく「丸」になる
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振り返ってみますと、私は、堅苦しい、四角四面の人間でした。最近では、少しは発想が柔らかくなったのではないかと自負しておりますが、まだまだ堅いところはあります。ときには四角になったり、三角になったり、槍みたいに尖ってみたり、といろいろなるわけです。ですが、そのように角のあるときというのは、自分でも気持ちが苦しいんですね。
一方、その逆というのは、円満、心が丸になるということです。丸とは、出…
- 「母」は第3位
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ふるさとを漢字一文字で表すとどうなるかというアンケートがございます(*注)。第1位が「山」、第2位が「海」、そして第3位が「母」であったそうです。「父」は、残念なことに50位にも入っていない。父親の存在は薄いということでしょうか。
私たちが、人間として生まれさせて頂いて、一番最初にめぐり合うのは、母親です。子供を直接育てるその母親が、仏さまの教えの縁に触れているか、いないかということは、…
- 幸せになる一番のもと
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この世の中で、私たちが気づかなければならない一番大事なこととは何でしょうか。それは、私たちが「生かされている」という事実を知ることです。「生かされている」ということは、本当に有り難いことであり、感謝で頭が下がります。
「頭が下がる」のではなく「頭を下げる」というのでは、まだちょっと我があります。「生かされている」ことに気づいて、自然に頭が下がり、「本当に仏さまのおっしゃる通りであります」…
- 仏の願いを我が願いに
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親子関係には、深い肉親の絆があります。その半面、どうしても自分の子供だけ、わが子だけ、というような自己中心性もわき起こってまいります。
しかし、生きとし生けるものすべてが救われるように、というのが仏さまの大慈悲心であります。私たちもそのような大きな慈悲心を持った人間にならせて頂くことが、ひいてはご先祖さまからも安心して頂ける人間になるということであります。仏さまの願いである一切衆生が…
- 心柔軟に、顔も柔軟に
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私たちの心のあり方は、顔、容姿などにも影響します。硬い表情をしている人は、心も硬い。そして柔らかい表情をしている人は、心まで柔軟、と言われております。ですから、私たちが、容姿をにこやかにするためには、やはり心が柔軟でなければならない、ということであります。
また、にこやかで明るい顔をしている人と巡り合いますと、何かこちらの心まで明るくなるような感じがいたします。逆に、硬く、暗い顔をされて…
- 奥さんの名前を呼ぼう
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家でご供養させて頂きますと、家内が必ず「会長先生おはようございます」と言います。ですから、私も「佳重さん、おはようございます」と家内の名前をはっきりと呼んであいさつする実践をさせて頂いています。
このように夫婦の間でお互いの名前を呼び合うというのは、どうも日本では昔から、男性の沽券にかかわる、とかいうことで、なかなかできない人が多いようであります。
最近、いろいろな人の話を伺っておりま…
- 「容を修す」
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聖徳太子は、「容を修す」という言葉を残されています。これは、私たちが人から何かを言われても、本当にそうだ、と素直に何でも受け入れ、足りないところは反省していくということです。いくら自分に非のないことを言われても、自分の心を大きく、柔軟にして、すべて受け入れていこうという気持ちになれば、腹も立たず、有り難く受けられます。そのように無限に大きな心をつくっていくことが、いわゆる「容を修す」というこ…
- 「救われ」とは
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人は、「まず自分が救われたい」と思います。ところが自分だけが救われたら、それが救いかというと、仏教ではどうもそうではないようであります。
つまり人を救う気持ちを起こす、いわゆる利他心、思いやりの心を起こすことこそが救われであると教えられているのです。利己心だけの人間から、「仏さまの教えをぜひ知ってほしい。そして救われてほしい」と、人さまに対する利他心を持った人間にならせて頂く。そのことに…
- 生まれてきて一番幸せな日
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お互いのいのちをよく見つめてみますと、私たちのいのちは、固定し、止まり、停止することは一瞬としてありません。毎日毎日、新しいいのちを生きているということができるわけです。身体そのものが、毎日創造されているともいえます。ですから私たちは、経験したことのない一日一日を過ごさせて頂いているということができます。
その意味で、いつが私たちにとって最高に幸せなときかと考えたら、「日々新たに」「日々…
- 懺悔せんと欲せば 端坐して実相を思え
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懺悔経の中に『一切の業障海は 皆妄想より生ず 若し懺悔せんと欲せば 端坐して実相を思え』とあります。
本当に日常の中での問題は、私たちの利己心、妄想から起こってまいります。もし懺悔せんと欲せば、自分が悪かったと心から告白していく、罪を改めていく、それ以外にありません。仏さまの教えに照らし合わせて、いかに自分の利己心が強かったかということに気づかない限りは、もろもろの問題も消滅しないという…
- 主観を捨て「よく見る」
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自分が苦しんでいるときは、現実をなかなか「よく見る」ということができません。相手が悪いというふうにしか見えないわけであります。
しかし、落ちついてよく見ると、あんなに激しく自分を罵倒していた人にも、やさしい面があったんだということが分かってくる。人間というのは、荒々しい言葉を使うからといって、心まで荒々しいかというと、決してそうではない。その裏には本当にやさしい心があることが見えてくるの…
- 罵倒されても有り難い
- 人から罵倒されるということは、大変つらいことです。しかし、そのことは、むしろ何事もない平穏なときに比べて、ご法というものをさらに認識する、認識を深めさせて頂くチャンスでもあるわけです。
そうした罵詈雑言、罵倒というものは、私たちを高めんがための仏の働きなんだ。そう受け取れるような自分にならせて頂くと、相手の悪口も有り難いと思えるようになってまいります。
しかしこれは、なかなか大変…
- 新入学生に贈る言葉
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人生を充実するには、「よい習慣をつくる」ことが大事です。繰り返し行っていると、それが習慣となり、身につき、そして身についたものがその人の一生を決定づけていくのです。
その意味では、朝のあいさつ、そしてハッキリとした返事も、毎日毎日繰り返していくうちに習慣となり、それが当たり前のように、自然に行われるようになると、その人生は明るく、楽しく、充実したものになっていくのです。
あいさつや返…
- 不和を解消する根本
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譬諭品に「諸苦の所因は貪欲これ本なり」という一節があります。貪欲ですから、貪るということです。貪るとは、独占欲、支配欲と言うのでしょうか、すべてを自分のものにしたい、自由に人を動かしたい、というような心です。そこから、いろいろな苦悩が発生するのだと説かれております。
例えば、人間として一番直接的な関係である夫婦の間でも、お互いに相手を独占したい、相手を自由に動かしたいという貪欲があり…
- 宗教の智慧
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世界の人類が直面している課題を解決するには、政治的・経済的・社会的なアプローチが必要であることは言うまでもありません。しかし、その一方で、問題の根本的な解決のためには、一般世間の価値観と申しましょうか、それを超えた宗教的価値観、言葉を換えれば「宗教の智慧」が必要であり、それに基づいたアプローチが大きな役割を果たすものと思います。
すべてのいのちは、等しく尊いのです。人間のみならず、生きと…
- 天上天下唯我独尊
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「天上天下唯我独尊」という言葉は、一般的に「天にも地にも我一人尊し」ということで、自分だけが尊いんだ、という受け取り方をしてしまいがちです。これでは、自分だけが尊い、偉いのだと、思い上がっている人物だというふうに誤解されてしまいます。
しかし本当は、「仏の教えに遇うことによって、初めて自らの尊さに気づくことができ、自らの尊さに気づいてこそ、他のすべてのものの尊さに気づかされる」という意味だ…
- 人生二度なし
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皆が分かっているつもりになっていることでも、実は分かっていないことが、人間にはあるのだそうです。それは「人生二度なし」ということです。表面的には分かっているのでしょうが、本当のところはなかなか分かっていないと言えるのです。
「人生二度なし」ということが本当の意味で分かっていませんと、私たちはいろいろなことに不平不満をもって生きてしまいます。せっかく生きているのに、不平不満の心で毎日を過ご…
- お天気は「回復」するのか
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今朝、天気予報で「お天気が回復する」と言っておりました。「回復する」って、いったい何を回復するんだろう、と思ったのです。雨が降っても、曇っても、晴れても、風が吹いても、これは、みんなお天気の表れではないか、と。回復とは、どういうことを言うんだろう、と疑問を持ったわけであります。
普通、良い天気と言うと晴れ、晴天だと思っていますが、どうもこれはおかしいのであります。人間の都合、人間を中心に…
- 心の転換、発想の転換
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「転換」とは、現象が変わるというよりは、私たちの受け取り方が変わっていくことなのだと思います。私たちは、自己中心で、狭く、堅苦しい、固定的な気持ちでいるとき、本当に思い上がってしまいます。何事も「ああすればいい」「こうすればいい」と比較対照的に物事をとらえてしまいます。
しかし私たちは、仏さまの教えによって、自己中心の心から離れていくことができます。〈私たちのいのちというのは神仏から授か…
- 一呼吸して考える
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法華経の法師品の中に、柔和忍辱という言葉が出てまいります。相手がこう言ったから、すぐにやり返すというのではなくて、一呼吸して、自分の内面を静かに見つめてみる。
〈こんなことを言ったら悪いなあ〉〈相手が傷つくなあ〉と。そういう心理的な、メンタルな面をしっかり教えてくださるのが「宗教の智慧」だと思います。
周りが悪い、環境が悪い、ということではなくて、やはり自分がうかつであったということに…
- ちゃぶ台をひっくり返したら
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ある奥さんが、ちゃぶ台の傍らに鍋を置いていたそうです。そこにご主人が帰ってこられて、鍋をひっくり返してしまいました。ご主人は、「こういうところに鍋を置くからだ」と言いました。そうすると奥さんが、「あなたの目は、一体なぜついているのですか」というふうに口答えしたらしいのです。もう正面衝突しまして、奥さんはほっぺたに一撃くらったそうであります。これは一般的な家庭にありがちな話ですね。
大体、…
- 自分が変わる一番の源
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諸行無常の教えを認識することは、私たちのいのちがいかに貴重なものであるか、有り難いものであるか、どれほど不思議な因縁でいまここにいのちを頂いて生かされているか、ということに気づくことであります。
佼成会では昔から、問題が起きたら、それはすべて自分なんだ、そこから環境も変化していく、自分が変われば相手も変わる、環境も変わると教えています。その自分が変わっていく一番の源が、私は、真理を認識する…
- すべては涅槃の予行演習
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大きな目で見ますと、人生に起こる一つ一つの出来事は、いわゆる涅槃の予行演習だとおっしゃる方がいます。涅槃とは死ということです。例えば、飛行機に乗るときも、無事に着陸するまでは何が起こるか分かりません。車に乗るときも、事故でも起これば、それは死と直結するわけです。ですから、生きている人間が行う一つ一つのことは、みな死の予行演習だというのであります。
このように、すべてが死の予行演習だという気持…
- 貪・瞋・痴を超える
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仏教では、人間はみな貪・瞋・痴、現代的に言うと、貪ること、怒ること、愚かであること、という三つの毒を持ち合わせていると教えています。そしてこれらが、人間を不幸にする素となるのであります。しかし、分かってはいても、こうした貪りとか、怒りとか、愚かさをまったくなくすことはとてもできないわけです。
私たちは、むしろ仏さまの教えを聴かせて頂くことによって、貪り、怒り、愚かさというものが、いかなるこ…
- 死を決意すれば
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会員さんの中にも、リストラの対象になった方がたくさんおられます。最近は、年間の自殺者が3万人を超えるという現実もございます。しかし、家族の方もいらっしゃれば、多くの方々との関係の中で生かされている私たちであります。
よく「死を決意すれば何でもできる」と言われます。むしろ私たちは、この尊いいのちを、本当に尊いがゆえに「死を決意すれば何でもできる」という覚悟をしてでも、とにかく生きていこう、…
- 楽しくなるまで繰り返そう
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私たちは、最初は張り切って、意気に燃えてしていたことが、ややもするとマンネリ化して、感激も感動もなく、ただ習慣的に繰り返してしまう傾向もございます。
毎日毎日、同じことの繰り返しの中で、心を込めて繰り返していくことができたならば、これほど幸せなことはないわけです。さらに心を込めて繰り返していくには、それが楽しくなるというところまで繰り返していくことが大事であります。本当に苦しみでしている…
- 最大・最高の労働者
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この世の中で、最大・最高の労働者は、キリストであり、釈尊である、という文章を読ませて頂いたことがあります。
それはどういうことかと申しますと、真理に一直線に、時間をかけないでたどり着かれた、ということであります。人間にとって、これほど大事なことはありません。
労働と申しましても、肉体的な労働もありますし、精神的な労働もあります。やはり、人間はパンのみにて生きるにあらず。精神的なものの意…
- お題目のご利益
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お題目を唱えるというのは、「南無妙法蓮華経」ですから、「妙法に帰依します」、その一言なのです。日蓮ご聖人によりますと「一天四海 皆帰妙法」、現代的な言葉で言えば「この世の中はただ一つの真理が働いている」ということであります。
お題目を唱えて、本当にその都度私たちが、「仏さまのお悟りになられた教えの通りでございます」という敬けんな気持ちで頭を下げることができたら、これほどの幸せはありません…
- 宇宙で唯一絵を描く生物
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先日、ある新聞のコラムを読んでおりましたら、こんな話が掲載されていました。
南アフリカのインド洋沿いにあるブロンボス洞窟で発見された約7万7000年前の土片に絵が描いてあったというのです。7万7000年もの前に、人間は絵を描いていたことが分かったのです。そして、そのコラムに、ある学者の言葉が紹介されています。『人間は唯一話をする動物である。同じように、人間はこの惑星上にかつて生存した…
- 毎日毎日、学び続けて
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仏さまの説かれる教えは無限です。私たち一人ひとりの肉体的ないのちは有限ですから、無限なるものをすべて計り知ることはできません。それは、他の宗教も同様でありましょう。
それぞれの宗教を信仰する人たちが、お互い、分からないながらも、有り難い仏の前に、神の前に、本当に心からひれ伏し、帰依し、合掌礼拝する。そういう世界が、実は平和な世界であり、世界が一つになれるということではないでしょうか。…
- 仏さまのような大きな見方を
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先ほど伺った体験説法では、子供さんの不登校やいじめに遭ったことなどのお陰さまで、親が親として育てられ、本当の親になることができたということでございました。現実の問題を前にして、ただ「困った、困った」ではなく、そのお陰さまで、今の自分があるというように受け取ることができるようになったら、これはもう最高だと思います。
体験説法の中でもおっしゃっていたように、人間は、いろいろな価値観を自分…
- 卑下もしない、傲慢にもならない
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「自分には何もできない」と卑下する心も、「自分は何でもできる」という驕慢な心も、これは両方ともよくないと釈尊は教えられています。卑下することなく、驕慢になることなく、ごく自然に生きていく。生かされていることに感謝し、人さまの思いになって、思いやりをもって生きていく。そこにこそ幸せがあるのであります。
『佼成新聞』(佼成出版社)より…
- 合掌こそ佼成会の姿
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スペインで開かれた世界平和祈りの集い(2001年9月)に出席させて頂きました。その集いの全体議長を務められた枢機卿さまにごあいさつをさせて頂こうと思いましたら、先に枢機卿さまの方から合掌をしてくださったのです。開祖さまが、国際会議などで、いつも合掌しておられましたので、佼成会というと、合掌だということを皆さんご存じなのです。
合掌は、本当に大事な教えの表現であります。私たちは「仏性礼拝」…
- 愛して礼を失わず
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夫婦となると、わがままが出てきます。昔から「親しき中にも礼儀あり」という言葉がありますが、私はよく結婚式などにお招き頂くと、新婚の方々にプレゼントする言葉があるのです。それは、「愛して礼を失わず」ということです。
礼とは、相手を尊重するということです。自分勝手ではなく、相手のいのちを尊重することです。
私も家内とケンカをします。大きなケンカはしません。ケンカをするということは、お互…
- 老いも若きも皆「新米」
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釈尊は80歳まで生きられ、最後の最後までお説法をされました。その釈尊のご一生を通し、私たち仏教徒が学びますことは、一生、学ぶ姿勢を持って生きなさいということではないかと思います。
いろいろ経験も豊富な方ですと、何でも知っている、何でもできると思いがちです。そういう姿勢ではなくて、老いも若きも皆「新米」の気持ちが大事だと思います。
60までは生きてきたけれど、60から先の人生というの…
- 信なくんば立たず
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『論語』の中で、孔子は国が成立していくために必要なこととして、軍備と経済力(食料)、そして信(国民が政治を信頼し、互いに信じ合うこと)の3つを挙げられています。そして、「どうしてもやむを得ないときには、何を捨てたらよいでしょうか」との質問に、まず軍備を、次には経済を捨てるように答えられ、「民、信なくんば立たず」と、このように結ばれたということでございます。
人間社会が成立するためには…
- 言葉の大切さ
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言葉は、人間にとって最も大事なものであろうと思います。バイブルの中にも『はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり。言葉は神なりき』(ヨハネによる福音書)という有名な言葉があります。人間が救われるのも、最終的には言葉によるのだと思うのです。
お釈迦さまのお心、教えを頂くのも、やはり言葉。お釈迦さまが使われた言葉そのままではなくても、私たち日本民族の今日まで長い歴史のなかで栄えてきた言語を通じ…
- まいりました
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剣道や柔道で相手に負けると「まいった」と言います。相手が強い、偉大である、その相手に一本を取られて「まいりました」ということになるのです。仏さまにおまいりするのも、仏さまの偉大さ、尊さに心から「まいりました」ということです。私たちは、仏さまに一本取られたということです。いくら私たちが頑張っても、仏さまから面や胴、小手は取れない。それほど偉大な仏さまであるわけです。
さらに、家を出るときに…
- お年寄りの知恵
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現代社会では、都会に人口が集中し、核家族化が進んでいます。そして、生産に従事する者、生産力のある者が大事にされ、お年寄りは非生産的だということで、大事にされない世の中になってきてしまいました。
人生の経験を長く積んでこられたお年寄りは、物事に練達し、思慮も深く、多くの知恵を持っておられます。そのような知恵をないがしろにし、能率や効率ばかりを中心にした生活で、人間は本当に幸せになったのでし…
- なぜ人間として生まれてきたのか
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自分が、どうしていまここにいのちを頂いているのか。それは、たいへん不思議なことであります。その有り難さが感じられないとしたら、どんなことにも感動できませんし、またどんなことにも有り難さを感じることができないのではないでしょうか。
私たちは、直接的には両親によってこの世に生を受け、両親もまた、先祖からいのちを受けて生まれてきました。そのことへの感謝と同時に、私たちがなぜ人間として生まれてき…