生き方つながるコミュニティ こころーたす

プロローグ
 都心から約1時間。西武拝島線玉川上水駅近くにある佼成霊園。平成4年5月3日、晴天の中、大井洋子さんの四十九日法要が行われた。17年に及ぶがんとの闘いに終止符を打ち、同年3月17日、49歳の若さで逝った大井さん。闘病中も笑顔を絶やさず、母として、妻として、そして一人の人間として、精いっぱい生き抜いた人生だった。  昭和50年に乳がん発病。3年後に首筋リンパ腺に転移。その後、がんは肺、…
発病
 『診療室から出てきた主人の顔は真っ青でした。(中略)「お父さん、私、がんなんでしょう?」と幾度聞いても「違うよ」というのみの主人。私は思いました。神経性胃炎、胃下垂を持病としている主人をこれ以上苦しめるのはよそう』(闘病ノートから) 昭和50年3月、左胸のしこりに気付いた。  乳首から出血があったため、近くの病院で診察を受けた。「あなたのように若くて元気な方は、がんで…
手術
 『生きて子供たちの所へ帰れないのではないか。そう思うと、かわいそうで涙を止めることはできませんでした』(闘病ノートから)  12月10日。大井さんは、病院のベッドの上で、身を硬くしていた。刻一刻とせまる手術。死への恐怖。幼い子供たちへの思い。心を落ち着かせるため、大井さんは、左胸にお数珠をあてた。明日はもうなくなっているであろう乳房のぬくもりが、たまらなくいとおしか…
家族
 『いつ再発するか――いつも恐れを抱いていました』(闘病ノートから)  東京都大田区羽田2丁目。日当たりのよい6畳2間の部屋に、再び大きな笑い声が響いた。待ちに待った退院。が、すべて元通りになったわけではなかった。再発への不安――掃除をしている時、食事を作っている時、大井さんの脳裏にはいつも“再発”の2文字が離れなかった。「がん」に関するテレビを食い入るように見る妻に、夫…
再発
 昭和53年12月。首筋リンパ腺(せん)転移のため築地・国立がんセンターへの入院が決まった。何も知らない子供たちに、それを告げるのはつらい。その瞬間から3年間の楽しかった日々が一転するのだ。  『入院を知った子供たちは、「神さまも仏さまもいないじゃない!」と泣きじゃくりました。私は「神仏がいたから、これまで生きてこられたのよ」と、自分に言い聞かせつつ、当時小学校六年の久江と、…
抗がん剤治療
 胸と背中に痛みを感じ、急いで国立がんセンターで検査を受けた。昭和61年8月。胸骨と鎖骨に転移、更に、肺がんが発見された。医師から告げられた治療法は「アドリアマイシン注射」。抗がん剤治療だった。  『一回目の注射をして帰る途中から体がしびれはじめ、そのまま起き上がれなくなりました』(闘病ノートから)  がん細胞の分裂を防ぐために用いるアドリアマイシンの副作用は、予想以上に大…
同病者へ
 抗がん剤治療を始めて、3カ月。嘔吐(おうと)や痛みは続いた。寝たきりの状態が続く半面、徐々に、健康な人と変わらない平穏な日も迎えられるようになった。それは大井さんにとって、とても貴重なものに思えた。<与えられた命を無駄なく生きたい>。時の流れの速さにもどかしささえ覚えた。  『「顔施」を保ち続けて明るく生きていこう』(闘病ノートから)  顔施--副作用にくじけそうになる…
幸福
 病巣が消えた--。主治医の喜ぶ顔が何度も脳裏によみがえった。<一刻も早く家族に知らせたい>。病院を出た大井さんの足どりは早くなっていた。  「肺がんがね、消えたんだって!」。家族全員での夕食。はしを持つ手が一瞬止まった。  『主人は目頭を押さえ、息子と娘は涙をあふれさせ、家族4人で泣いてしまいました』(闘病ノートから)  この瞬間をどんなに待っていたか--。思いがけぬ朗報に、あ…
叫び
 抗がん剤治療で、しばらく静かにしていたがん細胞が、これまでにない痛みを伴って大井さんを襲った。平成元年8月。長男・利章さん(当時・20歳)の結婚式を3カ月後に控えた時のことだった。  激しい痛み。身動きさえできない大井さんの体を、岩手から上京した実母・ゆたかさん(当時・82歳)、身重の長女・久江さんが交代でさすった。  『母は「代わることができるなら代わってやりたい」と泣きま…
試練
 『歩いていた足が、そして上半身が動かなくなり、口の左側が曲がってきました』(闘病ノートから)  平成元年11月。長男の結婚式終了と同時に、激しい痛みが、大井さんを襲った。投薬の副作用でもろくなっていた第一頚椎(けいつい)を骨折。脊髄(せきずい)を圧迫し、マヒ状態となった。  病院に運ばれる車の中、小さな振動さえ体に響く。「どうか、ゆっくり……」。鋭い痛みに、涙は止めどなく流れた。 …
手紙
 「なんとなく紅つけみようと鏡見る 見舞いの客の帰りしあとに」  『一丈の堀をこえむと思うものは、一丈五尺をこえむとはげむべし……(法然上人)。1メートルを完全に歩くために、1.5メートルを目標にして練習しなければ』(闘病ノートから)  2本の足がゆっくりと床についた。ベッドの横に置いた1本のつえ。しびれる手先を伸ばし、力いっぱい握りしめる――。  大井さんの歩行練習が始まった。…
お役
 「洋子菩薩さまへ――病の苦よりも、死の苦しみよりも、もっと苦しい苦を負って、たくさんの人が生きてゆく、その生の世界で『この人は病の苦しさだったら、きっと耐えつづけるだろうから』と神仏がお与えくださった荷物なのでしょう。《わが負える病は神に与えられし荷物と思えば心は軽し》。あなたのこのご心境は、まさに悟りの境地です」  大井さんの病室に1通の手紙が届いた。平成2年1月。岩崎隆一さん(76…
説法
太陽がまぶしかった。病室の窓から見える風景が、このうえなく美しいものに感じられた。平成2年3月。家族に囲まれての退院だった。再起不能と宣告された両足が、つえの力を借りて、一歩ずつ前へ進んでいく。築地・国立がんセンターが少しずつ遠ざかっていくのを感じながら、大井さんはある言葉を思い浮かべていた。 『念ずれば花ひらく』――詩人・坂村真民氏の母親の言葉だった。女手一つで5人の子供を育てた半…
葛藤
『私は痛みと闘う運命なのですね。いつもいつも激痛に襲われる……』(取材ノートから)  平成2年7月15日。講演を終えた大井さんは、たくさんの拍手に見送られ郡山を去った。つえをつきながらも歩ける喜び、「生き役」としての実感……。  その時だった。背中から腰にかけて激痛が走った。退院後、わずか4カ月。歩行訓練を重ね、ようやく動くようになった下半身が、一瞬のうちに感覚を失った。<…
機能
 「お願い、がんセンターに電話して!」。平成2年9月9日。全身に激しいけいれんが起きた。<なにが起きたの!>。今までにない症状に大井さんは動揺した。自分の意思を無視して、下半身が大きく震えるのだ。 見舞いに訪れた長女・久江さんが、慌てて受話器に手をかけた。その瞬間、震えは更に激しいものとなって大井さんに襲いかかった。<もう耐えられない――>。 退院から半年。大井さんは、再び病院のベ…
信頼
 その日の朝は、いつになく神経が高ぶっていた。右足が動く。平成3年3月――。<この喜びを一刻も早く主治医に伝えたい>。大井さんは、ベッドの中で再度、右足を動かしてみた。左右に、そして上下に。回診の時間が待ち遠しい。まだだとわかっていても、病室の入り口から目を離すことはできなかった。8時15分。病室の外から聞こえる主治医の足音に、心は弾んだ。  「ご機嫌いかがですか」。一歩ずつ近…
同悲
 つらい治療におびえる患者が次々とベッドを埋めていく。東京・築地の国立がんセンター。「治療はいや」「死ぬのが怖い」。投薬を強く拒む同病者に、大井さんは、かつての自分を重ね見た。  初めての手術の前夜。幼い子供たちの笑顔が、何度も脳裏に浮かんでは消えた。<もう二度と生きて帰れないかもしれない>。長い長い夜だった。抗がん剤の副作用は、髪の毛を1本残らず奪い去った。変わり果てた姿に、…
宣告
 早朝5時。病室に入ってきた看護師の姿に、大井さんはいつもと違う、緊迫した雰囲気を感じた。まだ若い看護師の青ざめた表情、沈んだ声。何を告げようとしているのか。何を言えずに立ちすくんでいるのか。大井さんには、痛いほど伝わってきた。 ≪モルヒネを打ちても痛みの失せぬ日よ 吾が終(つい)の日を思いめぐらす≫  個室に移されてからというもの、容態は悪化の一途をたどった。首や腰の激し…
娘へ
 【久江ちゃん――お便りありがとう。今朝、看護婦さんとお話をしました。その時、病気が病気だから、そろそろ最後の日のことを考えておかなければならない……と言ってくださいました】(40通目の手紙から)  この一節を書くのに、どれほど時間を費やしたことか。最愛の娘に、自らの死期を告げなければならない。手紙を手にした娘の姿を思うと、ペンを持つ手は止まった。しかし、大井さんは再び便せんに向…
感謝
 築地・国立がんセンター4A病棟。大井さんの病室には、家族全員がそろっていた。平成4年3月17日。がんは頭蓋底部分に転移し、神経を圧迫していた。衰弱が激しく、呼吸もままならない。病室に集まった家族のだれもが「死」を覚悟した。  医師は言った。「痛みを取り除く処置をすれば、意識はなくなります」と――。夫は悩み、子供たちも悩んだ。そして決めた。「痛みも取り除いてください。お願いします…