生き方つながるコミュニティ こころーたす

朝のこない夜はない
土崎幸子 当時58歳・名古屋 乳児のころ、母に抱かれて真っ暗な防空壕に逃げ込んだ記憶を、体が覚えているのでしょうか。私はずっと夜が嫌いでした。さらに長女の美和がぜんそくの発作を起こすのも、きまって夜でした。生後半年の小さな美和の体から、ひゅうひゅうと呼吸のもれる音が聞こえはじめると、やがて全身で激しくせき込みます。窓の外の暗い闇が私の心細さをかきたてました。  九州から名古屋に移ってき…
桜の咲くころ
安部かよこ 当時53歳・松江 十八歳の春に見た、桜の風景がいまも忘れられません。  それは私が生まれ育った京都を離れ、就職のために大阪へ出るときのことでした。母と一緒に入社式に向う道中、列車がJR大山崎駅に停止しました。ふと窓の外に目を向けると、そこに満開の大きな桜の木がありました。家族と離れる切なさと、心細さでいっぱいの私の心とは対照的に、見事なまでに咲き誇る桜。その美しさが、とても…
あなたたちは宝物
山本香奈 当時24歳・門司  さわやかな春風にほんのりと潮の香りがただよいはじめると、海はもうすぐそこ。車はスピードをあげ、ハンドルをにぎる母のウキウキした気持ちが、助手席の父や私と二人の妹たちにも伝わってきます。休日、母の大好きな潮干狩りに、家族そろって出かけた思い出・・それがとても幸せな記憶として、私の胸に残っています。 《お母さんへ》  天国のお母さん、元気ですか?お母さん…
がんばっているな
渡辺吉朗 当時48歳・米沢  さわやかな春風にほんのりと潮の香りがただよいはじめると、海はもうすぐそこ。車はスピードをあげ、ハンドルをにぎる母のウキウキした気持ちが、助手席の父や私と二人の妹たちにも伝わってきます。休日、母の大好きな潮干狩りに、家族そろって出かけた思い出・・それがとても幸せな記憶として、私の胸に残っています。 《お母さんへ》  天国のお母さん、元気ですか?お母さん…
みんなわしの子
小林克太郎 当時72歳・八王子  小学校に入る前のある日のことだった。母に連れられ、兄や弟たちとともに、母の実家近くの寺の報恩講に出かけた。  「どれからおまんの子だん(どの子からあんたの子なの)?」  母の知り合いらしき人が、無造作に聞いた。私は母が継母であることは幼心にも知っていた。だからきっと母は、後妻に入ってからもうけた弟たちを指して、「この子から……」と答えるだろうと思った。と…
母のなぐさめ
小林佐知子 当時85歳・御殿場  人間とは不思議なものです。いくつになっても、いざというときに思い出すのは、故郷の風景や両親の顔なのですから--。  昭和二十七年、私はきかん坊だった長男の育児に悩み、もっといい母親になりたいと願って、信仰の道へ足を踏み入れました。  それからは、「佼成会の教えを聞けば、絶対に救われる」という信念を胸に、暑い日も寒い日も、ひたすら布教に歩きました。 …
天の神様、地の神様
大久保嘉子 当時57歳・高崎  その日、私は母から二十円をもらい、消しゴムを買いに出かけた。小学校の前にあった商店は 「でんきや」と呼ばれており、同級生のほとんどが、ノートやえんぴつ、駄菓子などをそこで買い求めていた。店の広い間口で、私はいつものように、  「くださーい」  と声を上げたが、奥からおばさんが顔を出す気配はない。  私はさっと消しゴムをつかみ、連れてきていた妹にも一つ…
ただ一つの条件
猪本高央 当時57歳・岡崎  その日、わが家には、妹の交際相手が訪れていた。正式に結婚の申し込みをするためである。長男の私は、父から同席するように言われ、父の隣に腰をおろした。 《やさしそうな人だな》  これが彼への第一印象だった。  座卓をはさんで対面していると、彼の張りつめた気持ちが、こちらのほうまで伝わってくる。ひととおりのあいさつがすんだあと、父は静かに口をひらいた。  …
必ず幸せになれるから
野田恵子 当時54歳・三島  雪すさぶ富山の冬。おもての洗濯場で寒さに震えながら、洗濯をしていた幼き日のことを思い出す。  かじかむ手は真っ赤にはれあがり、見かねた父が大きな鍋にお湯を沸かし、持ってきてくれたものだ。そんなやさしさに涙がこぼれた。その一方で、 《お母さんさえ、いつも家にいてくれればいいのに……。なんで私ばっかりこんな思いをしなくてはならないの》  と、みじめな思いで…
苦労は買ってでもしろ
保坂桂子 当時51歳・甲府  春の息吹を感じ始めた三月のこと。私は実家の父と二人、車に乗っていた。トランクには、生まれたばかりの娘に用意してくれたおひなさまが積まれている。ふつうなら孫娘の初節句を祝い、自然と車中の空気もはなやぐ場面だろう。しかし、私はうまく笑顔を作れずにいた。  娘が生まれた翌年の昭和五十八年。夫の事業が行き詰まり、私たちは多大な負債を抱えていた。娘の上には年子のよう…
まず、ゆっくり休めばいい
大久保好唯 当時54歳・函館  父が亡くなってから、三年三か月が過ぎた。父から教えられたことはたくさんあるが、あえて、忘れ得ぬ言葉を一つ選びたい。  私は東京オリンピックが行なわれた翌年の昭和四十年に、仙台育英学園高等学校に入学し、その二学期からアマチュア・レスリング部に入部した。  当時のレスリング部は、全日本選手権者を数多く輩出したレスリングの名門校の一つで、部員も百人いた。練習…
痛さは同じじゃろうが
加藤容子 当時64歳・福井  北陸の田舎にある小さな村の、すきま風が吹き抜ける小さな家で、十一人きょうだいのちょうど真ん中に私は生まれた。  物心がついたころから、私は母と接する機会が少なかった。きょうだいが多かったこともあるが、決してそれだけはなかったように思う。自分ではだれよりも両親を大切にしていると思っていただけに、母との距離がたまらなく悲しかった。十七の年に、いまは亡き夫のもと…
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり
坂爪三枝子 当時53歳・新潟  十六歳のころだったと思う。街にあたたかな明かりが灯りはじめる夕方、学校から帰った私は、教会から帰っていた母と、いつものように一日の出来事を話していた。  佼成会が大好きな母は、教会で教えてもらったことや体験したこと、修行仲間から聞いたことなどを、毎日うれしそうに話してくれた。  その日も、教会で聞いた仏さまの教えを話していた母は、  「お母さんはこの…
感謝するんだぞ
松葉嘉子 当時60歳・高山  二月の寒い冬の日。そのころ住んでいた社宅の四畳半の居間で、中学三年生だった私は父母と夕食を囲んでいた。  小さなちゃぶ台をはさんで、一家団らんの時間を楽しんでいると、それまで笑っていたはずの父母が、突然姿勢を正し、真剣な顔つきで私のほうを向いたのだ。  いつもと違う雰囲気を感じ、私は《ついにきたか……》と、覚悟を決めた。  小学校四、五年生のころからだ…